内積と外積:その幾何学的本質と物理学における役割
目次
前提知識
この記事をスムーズに理解するために、以下の知識があることが望ましいです。
- ベクトルの成分表示
- 三角関数(sin, cos)の基本的な理解
要点まとめ
この記事では、物理学に頻繁に利用されるベクトル演算内積と外積について、その定義から幾何学的な意味、そして物理学における具体的な応用までを解説します。
- 核心: 内積はベクトルの射影(どれだけ同じ方向を向いているか)を、外積は2つのベクトルが張る有向面積(その面積と垂直な向き)を表現します。
- 計算と性質: 成分表示による代数的な計算方法と、交換法則や直交・平行条件といった重要な性質を整理します。
- 物理的応用: 内積が「仕事」に、外積が「力のモーメント」にどのように現れるかを見ることで、物理法則の数理的な構造を理解します。
1. はじめに
物理学は、力、速度、電場といった「向き」と「大きさ」を持つ量、すなわちベクトルを用いて自然を記述します。ベクトル同士の演算を定義することは、物理法則を定式化する上で不可欠です。
ベクトルの「積」には、内積 (dot product / inner product) と 外積 (cross product / outer product) という2種類が定義されており、それぞれ全く異なる性質を持ちます。内積は演算結果がスカラー(向きを持たない量)になるのに対し、外積はベクトルになります。
この記事では、内積と外積の定義を丁寧に解説し、それらが持つ美しい幾何学的意味を明らかにします。さらに、物理学の様々な場面でこれらの演算がどのように活用されているか具体例を挙げることで、数式と物理現象の深い結びつきを探求していきます。
2. 内積:射影の大きさを測るものさし
まずは、なす角を $\theta$ ($0 \le \theta \le \pi$) とする2つのベクトル $\vec{A}$ と $\vec{B}$ の内積を考えます。
定義
内積の定義には、幾何学的なものと代数的な(成分による)ものの2通りがあり、両者は等価です。
内積 $\vec{A} \cdot \vec{B}$ は以下で定義されます。
幾何学的定義: $$ \vec{A} \cdot \vec{B} = |\vec{A}| |\vec{B}| \cos\theta $$
代数的定義:
3次元デカルト座標系において $\vec{A} = (A_x, A_y, A_z)$, $\vec{B} = (B_x, B_y, B_z)$ と成分表示されるとき、内積は次のように計算されます。
$$
\vec{A} \cdot \vec{B} = A_x B_x + A_y B_y + A_z B_z
$$
直感的理解:射影という考え方
内積の物理的・幾何学的な本質は「射影」にあります。
$|\vec{A}|\cos\theta$ という項は、ベクトル $\vec{A}$ を、ベクトル $\vec{B}$ の方向へ射影したときの符号付きの長さを表します。($\theta > \pi/2$ のときは負になります。)
(必要であれば、ここに $\vec{A}$ から $\vec{B}$ へ垂線を下ろし、射影 $|\vec{A}|\cos\theta$ を示す図を挿入します。)
つまり、内積 $\vec{A} \cdot \vec{B}$ は、「$\vec{A}$ の $\vec{B}$ 方向成分の大きさ」と「$\vec{B}$ の大きさ」を掛け合わせたものと解釈できます。これは、2つのベクトルが「どれだけ同じ方向を向いているか」の度合いを示す指標と言えます。
重要な性質
- 交換法則:
$\vec{A} \cdot \vec{B} = \vec{B} \cdot \vec{A}$が成り立ちます。 - 同じベクトルとの内積:
$\vec{A} \cdot \vec{A} = |\vec{A}||\vec{A}|\cos 0 = |\vec{A}|^2$となり、ベクトルの大きさの2乗に等しくなります。 - 直交条件: 2つのベクトル
$\vec{A}, \vec{B}$(いずれもゼロベクトルではない) が直交するとき、$\theta = \pi/2$なので$\cos(\pi/2) = 0$となり、$\vec{A} \cdot \vec{B} = 0$となります。
物理的応用例:仕事
力学における仕事 $W$ の定義は、内積の典型的な応用例です。物体に一定の力 $\vec{F}$ が加わり、物体が変位 $\vec{s}$ だけ移動したとき、その力のなす仕事 $W$ は次の内積で定義されます。
$$
W = \vec{F} \cdot \vec{s} = |\vec{F}||\vec{s}|\cos\theta
$$
これは、力のベクトル $\vec{F}$ のうち、実際に物体の移動方向($\vec{s}$ の方向)に寄与する成分 $|\vec{F}|\cos\theta$ のみが仕事に関わる、という物理的な要請を数学的に表現したものです。力の向きと移動方向が垂直 ($\theta = \pi/2$) なら、仕事はゼロとなります。
3. 外積:有向面積を表すベクトル
次に、外積 $\vec{A} \times \vec{B}$ を考えます。内積とは異なり、外積の結果はベクトルになることに注意が必要です。
定義
外積 $\vec{C} = \vec{A} \times \vec{B}$ は、その「大きさ」と「向き」によって定義されます。
大きさ:
外積の大きさは、$\vec{A}$ と $\vec{B}$ が作る平行四辺形の面積に等しくなります。
$$
|\vec{C}| = |\vec{A} \times \vec{B}| = |\vec{A}||\vec{B}|\sin\theta
$$
向き:
外積ベクトル $\vec{C}$ の向きは、$\vec{A}$ と $\vec{B}$ の両方に垂直な方向です。具体的には、$\vec{A}$ から $\vec{B}$ へと右手の4本指を重ねるように回したときに、親指が指す向き(右ねじの進む向き)と定められます。
代数的定義: 成分表示では、外積は以下のように計算されます。 $$ \vec{A} \times \vec{B} = (A_y B_z - A_z B_y, \ A_z B_x - A_x B_z, \ A_x B_y - A_y B_x) $$
直感的理解:有向面積という考え方
外積の本質は「有向面積」です。これは、単なる面積の大きさだけでなく、「その面積がどちらを向いているか」という情報も併せ持ったベクトル量です。外積の大きさが2つのベクトルが張る面積を表し、その向きが面積の法線方向(面に垂直な方向)を表しているのです。
重要な性質
- 反交換法則: 右ねじの法則から明らかなように、演算の順序を入れ替えるとベクトルの向きが逆になります。
$\vec{A} \times \vec{B} = -(\vec{B} \times \vec{A})$ - 同じベクトルとの外積:
$\vec{A} \times \vec{A}$は、$\theta=0$より$\sin 0 = 0$なので、ゼロベクトル$\vec{0}$となります。 - 平行条件: 2つのベクトル
$\vec{A}, \vec{B}$(いずれもゼロベクトルではない) が平行なとき、$\theta = 0$または$\pi$なので$\sin\theta = 0$となり、$\vec{A} \times \vec{B} = \vec{0}$となります。
物理的応用例:力のモーメント
外積は、回転や、ある平面に垂直な量を扱う物理現象で中心的な役割を果たします。
- 力のモーメント: 原点周りの力のモーメント
$\vec{N}$は、力が作用する点の位置ベクトルを$\vec{r}$、力を$\vec{F}$として、以下の外積で定義されます。 $$ \vec{N} = \vec{r} \times \vec{F} $$ 力のモーメントは物体の回転を引き起こす能力を表します。そのベクトルの向きは回転軸の向きを、その大きさは回転の強さを表しており、外積の性質と見事に合致しています。
5. 結論と物理的考察
内積と外積は、単なるベクトルの計算ルールではなく、それぞれが明確な幾何学的意味と物理的役割を持っています。
- 内積
$\vec{A} \cdot \vec{B}$: スカラー量。一方のベクトルがもう一方のベクトル方向をどれだけ向いているか(射影)を表し、物理学では仕事の計算などに現れます。 - 外積
$\vec{A} \times \vec{B}$: ベクトル量。2つのベクトルが張る平行四辺形の面積と、その面に垂直な向きを同時に表現し、物理学では力のモーメントなど、回転や面に垂直な現象の記述に用いられます。
これらの演算を理解することは、物理法則の数式がなぜそのような形をしているのか、その背後にある構造を深く理解するための第一歩となります。
6. 発展と関連テーマ
今回のテーマについて、さらに学びを深めるためのトピックをいくつか紹介します。
- ベクトル解析: 内積と外積の概念は、
$\nabla$(ナブラ)演算子と組み合わせることで、発散 ($\nabla \cdot$) や回転 ($\nabla \times$) といった、場を記述するためのより高度な数学へと発展します。これらはマクスウェル方程式の核心部分をなします。