ネーターの定理:対称性から保存則を導く数学の至宝
目次
前提知識
この記事をスムーズに理解するために、以下の知識があることが望ましいです。
- ラグランジュ力学(ラグランジアン、最小作用の原理、オイラー・ラグランジュ方程式)
- 変分法の初歩
- 一般化座標
要点まとめ
この記事では、現代物理学の最も美しい定理の一つであるネーターの定理について解説します。この定理は、「系の作用に連続的な対称性があれば、それに対応する保存量が存在する」という、物理学の根幹をなす法則です。
- 問題の核心: なぜエネルギー保存則や運動量保存則といった保存則が成り立つのか、その背後にある統一的な原理を理解する。
- 用いる物理法則: ラグランジュ形式と最小作用の原理。
- 最終的な結論: ネーターの定理の一般形を導出し、具体例として回転対称性から角運動量保存則が必然的に導かれることを計算で証明する。
1. はじめに
エネルギー保存則、運動量保存則、角運動量保存則。これらは、物理学の礎を築く極めて重要な法則です。しかし、これらの法則はそれぞれ独立した、偶然の発見なのでしょうか。あるいは、それらを統一する、より深く根源的な原理が存在するのでしょうか。
20世紀初頭、数学者エミー・ネーターは、この問いに対する驚くほどエレガントな答えを示しました。彼女が証明したネーターの定理は、物理系の対称性と保存則の間に一対一の深遠な対応があることを明らかにしたのです。
- 時間が経っても物理法則が変わらない(時間並進対称性)⇒ エネルギーが保存する
- 場所によらず物理法則が変わらない(空間並進対称性)⇒ 運動量が保存する
- 向きによらず物理法則が変わらない(回転対称性)⇒ 角運動量が保存する
この記事では、このネーターの定理をラグランジュ形式を用いて厳密に導出し、その威力を実感するために、回転対称性から角運動量保存則を導く具体的な計算を丁寧に行います。抽象的な「対称性」という概念が、いかにして具体的な「保存量」という物理法則を生み出すのか、その数理的な美しさを探求していきましょう。
2. 状況設定:ラグランジュ形式
ネーターの定理の証明は、ラグランジュ力学の枠組みで行うのが最も見通しが良いです。議論の出発点として、基本的な概念を整理します。
- 一般化座標: 系の状態を完全に記述する独立な変数群
$q_i(t)$。 - ラグランジアン: 系の運動エネルギー
$K$とポテンシャルエネルギー$U$の差として定義される関数$L(q_i, \dot{q}_i, t) = K - U$。 - 作用: ラグランジアンを時間で積分した量
$S = \int_{t_1}^{t_2} L(q_i, \dot{q}_i, t) dt$。 - 最小作用の原理とオイラー・ラグランジュ方程式: 物理系は、作用
$S$が最小(正確には停留)となるような経路をたどります。この要請から、以下の運動方程式が導かれます。 $$ \frac{\partial L}{\partial q_i} - \frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} = 0 $$ 我々の議論は、この方程式が常に満たされていることを前提とします。
3. 解法のロードマップ
この問題を解決するために、以下のステップで思考を進めます。
- Step 1: 連続的対称性の定式化 系の「対称性」とは何かを、ラグランジアンの infinitesimal(無限小)な変換に対する不変性として数学的に厳密に定義します。
- Step 2: ネーターの定理の一般形の導出 座標の無限小変換によってラグランジアンがどう変化するかを計算します。系がオイラー・ラグランジュ方程式に従うことを利用すると、ある物理量の時間微分がゼロになる、すなわちその量が保存することを示します。
- Step 3: 具体例:回転対称性と角運動量保存則 導出した一般定理を、中心力ポテンシャル中の粒子の運動(回転対称性を持つ系)に適用し、保存量が角運動量と一致することを計算で確認します。
4. 理論展開と計算
Step 1: 連続的対称性の定式化
系の作用$S$に連続的な対称性があるとは、座標$q_i$を微小パラメータ$\epsilon$を用いて以下のように無限小変換しても、作用の値が変わらないことを意味します。
$$
q_i(t) \to q’_i(t) = q_i(t) + \epsilon \Delta q_i(t)
$$
ここで$\epsilon$は無限小の大きさを表すパラメータ、$\Delta q_i(t)$は変換の具体的な形を定める関数で、**変換の生成子(ジェネレーター)**とも呼ばれます。$\delta q_i = \epsilon \Delta q_i$が座標の微小変化量を表します。
作用$S$が不変であるためには、ラグランジアン$L$の変化が、ある関数$K(q_i, \dot{q}_i, t)$の時間全微分で書ける必要があります。
$$
\delta L = \epsilon \frac{dK}{dt}
$$
多くの場合、ラグランジアン自身が不変であり、$\delta L = 0$となります。このとき$K=0$と考えられます。
Step 2: ネーターの定理の一般形の導出
ラグランジアン$L(q_i, \dot{q}_i, t)$の全微分を考え、$\epsilon$の1次までを評価します。
$$
\delta L = \sum_i \left( \frac{\partial L}{\partial q_i} \delta q_i + \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \delta \dot{q}_i \right)
$$
ここで、$\delta q_i = \epsilon \Delta q_i$であり、$\delta \dot{q}_i = \frac{d}{dt}(\delta q_i) = \epsilon \frac{d}{dt}(\Delta q_i)$です。
物理的に実現する経路では、オイラー・ラグランジュ方程式$\frac{\partial L}{\partial q_i} = \frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i}$が常に成り立っています。これを上式の一つ目の項に代入すると、
$$
\begin{aligned}
\delta L &= \sum_i \left( \left(\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i}\right) \delta q_i + \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \frac{d}{dt}(\delta q_i) \right) \\
&= \sum_i \frac{d}{dt} \left( \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \delta q_i \right)
\end{aligned}
$$
最後の行では、積の微分法則$\frac{d}{dt}(fg) = \dot{f}g + f\dot{g}$を、$f = \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i}$および$g = \delta q_i$として逆向きに用いました。
ここで、Step 1で定義した対称性の条件$\delta L = \epsilon \frac{dK}{dt}$を用いると、
$$
\epsilon \frac{dK}{dt} = \sum_i \frac{d}{dt} \left( \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \epsilon \Delta q_i \right)
$$
$\epsilon$で両辺を割り、移項して整理すると、
$$
\frac{d}{dt} \left( \sum_i \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \Delta q_i - K \right) = 0
$$
この式は、括弧の中の量$Q$が時間的に変化しないこと、すなわち保存量であることを示しています。
$$
Q = \sum_i \frac{\partial L}{\partial \dot{q}_i} \Delta q_i - K \quad (\text{ネーター・チャージ})
$$
これがネーターの定理の一般形です。
Step 3: 具体例:回転対称性と角運動量保存則
中心力ポテンシャル$U(r)$中を運動する質量$m$の粒子を考えます。この系のラグランジアンは、デカルト座標$(x, y, z)$を用いて以下のように書けます。
$$
L = \frac{1}{2}m(\dot{x}^2 + \dot{y}^2 + \dot{z}^2) - U(\sqrt{x^2+y^2+z^2})
$$
この系は、原点を中心とする任意の回転に対して物理法則が変わらない、すなわち回転対称性を持っています。
z軸周りの無限小回転$\delta\phi$を考えましょう。これは連続的な変換であり、ネーターの定理を適用できます。この回転による座標の変化は、
$$
\begin{aligned}
x’ &= x \cos(\delta\phi) - y \sin(\delta\phi) \approx x - y\delta\phi \\
y’ &= x \sin(\delta\phi) + y \cos(\delta\phi) \approx y + x\delta\phi \\
z’ &= z
\end{aligned}
$$
となります。したがって、座標の変分$\delta q_i = q'_i - q_i$は、
$$
\delta x = -y\delta\phi, \quad \delta y = x\delta\phi, \quad \delta z = 0
$$
です。この変換の微小パラメータは$\epsilon = \delta\phi$なので、$\Delta q_i = \delta q_i / \epsilon$は、
$$
\Delta x = -y, \quad \Delta y = x, \quad \Delta z = 0
$$
となります。
この回転によってラグランジアンが本当に不変($\delta L = 0$)であることを確認しましょう。ポテンシャルエネルギー$U(\sqrt{x^2+y^2+z^2})$は、回転によって距離$\sqrt{x^2+y^2+z^2}$が変わらないため、明らかに不変です。
次に、運動エネルギー$K = \frac{1}{2}m(\dot{x}^2 + \dot{y}^2 + \dot{z}^2)$の変化を計算します。まず、速度の変換を求めます。
$$
\begin{aligned}
\dot{x}’ &= \dot{x} - \dot{y}\delta\phi \\
\dot{y}’ &= \dot{y} + \dot{x}\delta\phi \\
\dot{z}’ &= \dot{z}
\end{aligned}
$$
これを使って回転後の運動エネルギー項$(\dot{x}'^2 + \dot{y}'^2 + \dot{z}'^2)$を計算すると、
$$
\begin{aligned}
\dot{x}’^2 + \dot{y}’^2 &= (\dot{x} - \dot{y}\delta\phi)^2 + (\dot{y} + \dot{x}\delta\phi)^2 \\
&= (\dot{x}^2 - 2\dot{x}\dot{y}\delta\phi + \dot{y}^2(\delta\phi)^2) + (\dot{y}^2 + 2\dot{x}\dot{y}\delta\phi + \dot{x}^2(\delta\phi)^2) \\
&\approx \dot{x}^2 + \dot{y}^2
\end{aligned}
$$
となります。ここで、$(\delta\phi)^2$の項は無限小の2次として無視しました。$\dot{z}'^2 = \dot{z}^2$なので、運動エネルギーも不変であることがわかります。
したがって、ラグランジアン全体がこの回転に対して不変であり、$\delta L = 0$、すなわち$K=0$としてよいことが確認できました。
いよいよ保存量$Q$を計算します。まず、一般化運動量を求めます。
$$
\frac{\partial L}{\partial \dot{x}} = m\dot{x} = p_x, \quad \frac{\partial L}{\partial \dot{y}} = m\dot{y} = p_y, \quad \frac{\partial L}{\partial \dot{z}} = m\dot{z} = p_z
$$
これらをネーター・チャージの式に代入します。
$$
\begin{aligned}
Q &= \left(\frac{\partial L}{\partial \dot{x}}\right) \Delta x + \left(\frac{\partial L}{\partial \dot{y}}\right) \Delta y + \left(\frac{\partial L}{\partial \dot{z}}\right) \Delta z \\
&= (p_x)(-y) + (p_y)(x) + (p_z)(0) \\
&= x p_y - y p_x
\end{aligned}
$$
この$(x p_y - y p_x)$という量は、まさしく角運動量ベクトル$\vec{L} = \vec{r} \times \vec{p}$のz成分$L_z$に他なりません。
$$
Q = L_z
$$
5. 結論と物理的考察
以上の計算から、中心力ポテンシャル中の系の回転対称性から、角運動量のz成分が保存されるという結論が厳密に導かれました。x軸、y軸周りの回転を考えれば、$L_x, L_y$ の保存も同様に示すことができます。
この結果が持つ物理的な意味は極めて深遠です。角運動量保存則は、単独で存在する経験則ではなく、「物理法則が空間の向きに依存しない」という、より根源的な要請(対称性)の必然的な帰結なのです。ネーターの定理は、なぜこの世界に保存則が存在するのか、という問いに、「この世界が対称的だからだ」という美しい答えを与えてくれます。
同様の議論により、以下の基本的な保存則も導かれます。
- 時間並進対称性 (
$t \to t + \delta t$) → エネルギー保存則 - 空間並進対称性 (
$\vec{r} \to \vec{r} + \delta\vec{r}$) → 運動量保存則
ネーターの定理は、古典力学に留まらず、電磁気学、相対性理論、そして素粒子物理学の標準模型に至るまで、現代物理学のあらゆる分野で指導原理として輝き続けています。
6. 発展と関連テーマ
今回のテーマについて、さらに学びを深めるためのトピックをいくつか紹介します。
- ゲージ対称性: 場の理論における内部自由度の対称性。これから電磁気学における電荷の保存則などが導かれます。