球面調和関数とスピン系の深いつながり:回転群の表現論からの統一的理解
目次
前提知識
この記事をスムーズにご理解いただくために、以下の知識があることが望ましいです。
- 量子力学における角運動量演算子の定義と交換関係
- 線形代数(行列、固有値問題、ユニタリ行列)
- 群論の初歩的な概念(群、表現、準同型写像)
要点まとめ
この記事では、一見すると異なる物理概念である軌道角運動量(球面調和関数)とスピン角運動量が、数学的には回転群の表現という単一の枠組みで統一的に理解できることを解説します。
- 問題の核心: なぜ整数と半整数の角運動量が存在し、それらが同じ代数構造に従うのかを明らかにします。
- 用いる数学的道具: 角運動量代数、回転群SO(3)、特殊ユニタリ群SU(2)の理論を用います。
- 最終的な結論: 球面調和関数とスピンは、いずれもSU(2)群の既約表現であり、整数表現がSO(3)の表現に対応し、半整数表現がスピンに対応することを導出します。
1. はじめに
量子力学において、角運動量は粒子の回転状態を記述する極めて重要な物理量です。これは、電子が原子核の周りを回るような古典的描像に対応する軌道角運動量と、粒子が持つ本質的な内部自由度であるスピン角運動量の二つに大別されます。
軌道角運動量は、その波動関数が球面調和関数 $Y_l^m(\theta, \phi)$ で与えられ、その量子数 $l$ は必ず整数値をとります。一方で、スピンの量子数 $s$ は電子のように $1/2$ という半整数値をとり得ます。
これらは異なる起源を持つように見えますが、どちらも同じ形式の交換関係を満たし、「角運動量」として統一的に扱われます。この事実は、単なる偶然ではありません。その背後には回転対称性という物理学の根源的な原理と、それを記述する群論という強力な数学的言語が存在します。
本記事では、球面調和関数とスピンを「回転群の表現」という高次の視点から捉え直し、両者の間に横たわる深く美しい数学的関係性を解き明かしていきます。
2. 古典的描像から量子的定義へ
量子的な角運動量の議論に入る前に、その出発点である古典力学の世界を振り返りましょう。古典力学において、原点を中心とする粒子の角運動量 $\vec{L}$ は、位置ベクトル $\vec{r}$ と運動量ベクトル $\vec{p}$ の外積として定義されます。
$$ \vec{L} = \vec{r} \times \vec{p} $$
量子力学へ移行するには、物理量を演算子に置き換える「量子化」という手続きが必要です。位置 $\vec{r}$ と運動量 $\vec{p}$ をそれぞれ演算子 $\hat{\vec{r}}$, $\hat{\vec{p}}$ に対応させると、軌道角運動量演算子 $\hat{\vec{L}}$ は以下のように定義されます。
$$ \hat{\vec{L}} = \hat{\vec{r}} \times \hat{\vec{p}} $$
ここで、位置と運動量の演算子の間には、$[ \hat{x}_i, \hat{p}_j ] = i\hbar\delta_{ij}$ という有名な正準交換関係が成り立ちます。この関係を用いると、軌道角運動量演算子の各成分の間にも、以下のような美しい代数構造(交換関係)が成り立つことが計算できます。
$$ [\hat{L}_i, \hat{L}_j] = i\hbar \epsilon_{ijk} \hat{L}_k $$
この関係式こそが、軌道角運動量の量子的な性質を決定づける根源です。
3. 角運動量代数という共通言語
前節で導出した軌道角運動量の交換関係は、非常に重要です。そこで物理学者は、この構造を抽象化・一般化し、物理的起源(軌道運動か、それ以外か)を問わず、以下の交換関係を満たす演算子 $\vec{J}$ をすべて「角運動量」と呼ぶことにしました。
$$ [J_i, J_j] = i\hbar \epsilon_{ijk} J_k $$
この三つの関係式こそが、角運動量の本質をすべて包含する角運動量代数です。軌道角運動量 $\vec{L}$ はもちろん、スピン $\vec{S}$ もこの同じ代数を満たします。
この交換関係だけを公理として、$J^2 = J_x^2 + J_y^2 + J_z^2$ と $J_z$ の固有値がどのように定まるかを導出できます。その過程で、なぜ量子数が整数と半整数に限られるのかが明らかになります。
証明:量子化条件の導出
まず、昇降演算子 (またはラダー演算子) $J_\pm$ を以下のように定義します。
$$
J_\pm = J_x \pm iJ_y
$$
この演算子と$J_z$の交換関係を計算すると、
$$
[J_z, J_\pm] = \pm\hbar J_\pm
$$
となります。この関係式は、$J_z$の固有値が$m\hbar$である状態$|\psi\rangle$に$J_\pm$を作用させると、新たな状態の固有値が$(m\pm1)\hbar$に変化することを示しています。つまり、$J_\pm$は固有値の「はしご」を一段上り下りさせる演算子です。
次に、$J^2$は$J_z$と可換 ($[J^2, J_z]=0$) であるため、同時固有状態を持つことができます。この状態を$|j,m\rangle$と書き、以下を満たすとします。
$$
\begin{aligned}
J^2 |j,m\rangle &= \lambda \hbar^2 |j,m\rangle \\
J_z |j,m\rangle &= m\hbar |j,m\rangle
\end{aligned}
$$
ここで、$J_x^2+J_y^2 = J^2-J_z^2$ の期待値は必ず非負であるため、$\lambda\hbar^2 - (m\hbar)^2 \geq 0$、すなわち$\lambda \geq m^2$が成り立ちます。これは、$m$の値には上限と下限が存在することを意味します。
$m$の最大値を$m_{max}$、最小値を$m_{min}$としましょう。最大の状態に$J_+$を作用させると、それ以上は上がれないので結果は$0$になるはずです。同様に最小の状態も$J_-$で$0$になります。
$$
\begin{aligned}
J_+ |j,m_{max}\rangle &= 0 \\
J_- |j,m_{min}\rangle &= 0
\end{aligned}
$$
ここで、$J^2$を昇降演算子で表す便利な恒等式 $J^2 = J_\mp J_\pm + J_z^2 \pm \hbar J_z$ を用います。
- 最大値
$m_{max}$について:$J^2 = J_-J_+ + J_z^2 + \hbar J_z$を状態$|j,m_{max}\rangle$に作用させると、 $$ \begin{aligned} J^2 |j,m_{max}\rangle &= (J_-J_+ + J_z^2 + \hbar J_z) |j,m_{max}\rangle \\ \lambda \hbar^2 |j,m_{max}\rangle &= (0 + (m_{max}\hbar)^2 + \hbar(m_{max}\hbar)) |j,m_{max}\rangle \\ \lambda &= m_{max}(m_{max}+1) \end{aligned} $$ - 最小値
$m_{min}$について:$J^2 = J_+J_- + J_z^2 - \hbar J_z$を状態$|j,m_{min}\rangle$に作用させると、 $$ \begin{aligned} J^2 |j,m_{min}\rangle &= (J_+J_- + J_z^2 - \hbar J_z) |j,m_{min}\rangle \\ \lambda \hbar^2 |j,m_{min}\rangle &= (0 + (m_{min}\hbar)^2 - \hbar(m_{min}\hbar)) |j,m_{min}\rangle \\ \lambda &= m_{min}(m_{min}-1) \end{aligned} $$ 両者は同じ$\lambda$を表しているので、$m_{max}(m_{max}+1) = m_{min}(m_{min}-1)$が成り立ちます。この方程式を解くと、$m_{min}=-m_{max}$という関係が得られます(もう一つの解$m_{min}=m_{max}+1$は$m_{min} \leq m_{max}$に反するため不適)。
最後に、$m_{max}$から$m_{min}$へは、$J_-$を$N$回作用させることで到達できるはずです($N$は0を含む整数)。つまり、$m_{max} - m_{min} = N$ でなければなりません。
ここに$m_{min}=-m_{max}$を代入すると、
$$
m_{max} - (-m_{max}) = 2m_{max} = N
$$
したがって、$m_{max} = N/2$ となります。$N$が$0$以上の整数であることから、$m_{max}$は0、1/2、1、3/2、… といった整数または半整数しか取り得ないことが証明されました。慣例として、この最大値 $m_{max}$ を量子数$j$と書き、$\lambda = j(j+1)$とします。
以上の証明から、角運動量代数という抽象的な公理だけから、以下の量子化された固有値が導かれます。
$J^2$の固有値:$\hbar^2 j(j+1)$$J_z$の固有値:$\hbar m_j$
ここで、量子数 $j$ は $0$または正の整数、あるいは半整数 ($j = 0, 1/2, 1, 3/2, \dots$) をとり、$m_j$ は $j$ ごとに $-j, -j+1, \dots, j-1, j$ の $2j+1$ 個の値をとり得ます。この結論は、なぜ整数だけでなく半整数の角運動量が存在し得るのかを数学的に示唆しています。
4. 解法のロードマップ
この抽象的な代数構造と、具体的な物理現象(球面調和関数とスピン)を結びつけるために、以下のステップで思考を進めます。
- Step 1: 回転演算子とSO(3)群 空間の回転操作が、角運動量演算子を生成子とするユニタリ演算子でどのように表現されるかを確認し、これが回転群SO(3)と密接に関わることを見ます。
- Step 2: 球面調和関数とSO(3)群の表現
軌道角運動量(整数
$l$)の場合、波動関数である球面調和関数が回転によってどのように変換されるかを見ます。これがSO(3)群の表現を与えることを示します。 - Step 3: スピンとSU(2)群の登場
スピン1/2(半整数
$s=1/2$)の場合、状態ベクトルが$2\pi$回転で符号を反転させるという奇妙な性質を持つことを示します。この性質はSO(3)群の枠組みでは説明できず、より広範なSU(2)群が必要となることを見ます。 - Step 4: SU(2)による統一的理解 SO(3)とSU(2)の数学的な関係を明らかにし、球面調和関数とスピンの両方が、SU(2)群の表現という統一的な視点で記述できることを結論づけます。
5. 理論展開と計算
Step 1: 回転演算子とSO(3)群
物理的な状態が回転によってどのように変化するかを見ていきましょう。z軸周りに微小角度$\delta\alpha$だけ状態ベクトルを回転させた場合を考えます(能動的回転)。このとき、回転後の波動関数$\psi'(\vec{r})$の値は、回転前の関数の、座標系を逆回転させた点$R_z(-\delta\alpha)\vec{r}$での値に等しくなります。
$$ \psi’(\vec{r}) = \psi(R_z(-\delta\alpha)\vec{r}) = \psi(x+y\delta\alpha, y-x\delta\alpha, z) $$
右辺を$\delta\alpha$の1次までテイラー展開すると、
$$ \begin{aligned} \psi’ (\vec{r}) &\approx \psi(\vec{r}) + y\delta\alpha \frac{\partial \psi}{\partial x} - x\delta\alpha \frac{\partial \psi}{\partial y} \\ &= \left( 1 + \delta\alpha \left( y\frac{\partial}{\partial x} - x\frac{\partial}{\partial y} \right) \right) \psi(\vec{r}) \end{aligned} $$
ここで、角運動量演算子$L_z$が$L_z = x p_y - y p_x = -i\hbar(x\frac{\partial}{\partial y} - y\frac{\partial}{\partial x})$と書けることを思い出すと、括弧の中は$L_z$を使って$-\frac{i}{\hbar}L_z$と書き換えられます。よって、
$$ \psi’ (\vec{r}) = \left( 1 - \frac{i}{\hbar} \delta\alpha L_z \right) \psi(\vec{r}) $$
これは、微小回転という操作が、波動関数に$U_z(\delta\alpha) = (1 - \frac{i}{\hbar} \delta\alpha L_z)$という演算子を作用させることに対応することを示しています。
有限の回転角$\alpha$は、この微小回転$\delta\alpha = \alpha/N$を$N$回($N\to\infty$)繰り返すことで実現できます。したがって、有限回転の演算子$U_z(\alpha)$は、
$$ U_z(\alpha) = \lim_{N\to\infty} \left( 1 - \frac{i}{\hbar} \frac{\alpha}{N} L_z \right)^N = \exp\left(-\frac{i}{\hbar} \alpha L_z\right) $$
となり、指数関数の形で自然に導かれます。角運動量演算子$\vec{L}$は、このように回転操作を生み出す**生成子(ジェネレーター)**としての役割を担っているのです。
回転群SO(3)とは何か?
ここで導出した回転操作の集まりは、数学的に群という構造をなします。具体的には、これは**特殊直交群SO(3)**として知られています。この名前は以下を意味します。
- O(3) (3次元直交群): 3次元空間のベクトル
$\vec{x}$の長さを変えない変換($|R\vec{x}| = |\vec{x}|$)を表す3x3行列$R$の集まりです。これは、行列が直交条件$R^T R = I$($R^T$は転置行列)を満たすことを意味し、物理的には「角度と長さを保存する」という回転の本質的な性質に対応します。 - S (特殊): 直交行列の行列式
$\det(R)$は$\pm 1$のどちらかの値をとります。$\det(R)=+1$は純粋な回転を意味し、$\det(R)=-1$は反転(鏡映)を含む操作を意味します。SO(3)のSはSpecialを意味し、行列式が$\det(R)=+1$であるものだけを集めた集合であることを示します。
つまり、SO(3)とは「3次元空間における、向きを保存する全ての剛体回転の集まり」 に他なりません。我々が日常的に経験する物体の「回転」という操作を、数学的に厳密に表現したものがこのSO(3)群なのです。
Step 2: 球面調和関数とSO(3)群の表現
軌道角運動量の場合、量子数 $l$ は整数値のみをとります。この $\vec{L}$ のうち、$L_z$ 演算子と球面調和関数 $Y_l^m(\theta, \phi)$ は、以下の美しい固有値関係を満たします。
$$ L_z Y_l^m(\theta, \phi) = m\hbar Y_l^m(\theta, \phi) $$
具体例: $l=1$ の場合の計算
この関係が本当に成り立つか、$l=1$ の場合で計算してみましょう。まず、$L_z$ 演算子を球面座標で表すと、以下の微分演算子になります。
$$ L_z = -i\hbar \frac{\partial}{\partial \phi} $$
一方、$l=1$ の球面調和関数は以下の通りです。
$$
\begin{aligned}
Y_1^1(\theta, \phi) &= -\sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta e^{i\phi} \\
Y_1^0(\theta, \phi) &= \sqrt{\frac{3}{4\pi}} \cos\theta \\
Y_1^{-1}(\theta, \phi) &= \sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta e^{-i\phi}
\end{aligned}
$$
これらに $L_z$ を作用させてみましょう。
- m=1: $$ L_z Y_1^1 = -i\hbar \frac{\partial}{\partial \phi} \left( -\sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta e^{i\phi} \right) = -i\hbar \left( -\sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta \right) (i e^{i\phi}) = \hbar Y_1^1 $$
- m=0: $$ L_z Y_1^0 = -i\hbar \frac{\partial}{\partial \phi} \left( \sqrt{\frac{3}{4\pi}} \cos\theta \right) = 0 $$
- m=-1:
$$
L_z Y_1^{-1} = -i\hbar \frac{\partial}{\partial \phi} \left( \sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta e^{-i\phi} \right) = -i\hbar \left( \sqrt{\frac{3}{8\pi}} \sin\theta \right) (-i e^{-i\phi}) = -\hbar Y_1^{-1}
$$
確かに、固有値がそれぞれ
$1\hbar, 0\hbar, -1\hbar$となり、$m\hbar$に一致することが確認できました。
この計算結果と回転演算子の式を組み合わせると、球面調和関数に回転演算子 $R_z(\alpha)$ を作用させた結果は、
$$ R_z(\alpha) Y_l^m(\theta, \phi) = \exp\left(\frac{i}{\hbar} \alpha L_z\right) Y_l^m(\theta, \phi) = e^{im\alpha} Y_l^m(\theta, \phi) $$
となり、非常にシンプルな形で書き表せます。$m$ は整数ですので、球面調和関数が $2\pi$ 回転(一回転)で元に戻ることがわかります。これは直感的にも理解しやすい結果です。
Step 3: スピンとSU(2)群の登場
前節では、軌道角運動量 $\vec{L}$ が空間回転SO(3)の生成子となり、その量子数 $l$ が整数に限られること、そして波動関数である球面調和関数が $2\pi$ 回転で元に戻ることを確認しました。
しかし、思い出してください。「3. 角運動量代数という共通言語」の節で導出した一般論では、交換関係だけを公理とすると、量子数 $j$ は整数だけでなく半整数も許される、という非常に重要な結論が得られていました。
軌道角運動量は、この可能性のうち整数部分を担っていました。では、物理の世界に半整数角運動量に対応するものは存在するのでしょうか?
その答えが、粒子のスピン角運動量 $\vec{S}$ です。スピンは、$\vec{r} \times \vec{p}$ のような古典的描像を持たない、粒子の本質的な内部自由度ですが、軌道角運動量と全く同じ角運動量代数を満たします。ここでは、この半整数角運動量がどのような奇妙で、しかし美しい性質を持つのかを探求していきましょう。最も単純な非自明な例として、スピン $s=1/2$ の系を考えます。このとき、スピン演算子 $\vec{S}$ は、パウリ行列 $\vec{\sigma} = (\sigma_x, \sigma_y, \sigma_z)$ を用いて $\vec{S} = (\hbar/2)\vec{\sigma}$ と表現できます。ここで、パウリ行列とは以下の3つの2x2行列です。
$$
\sigma_x = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 0 \end{pmatrix}, \quad \sigma_y = \begin{pmatrix} 0 & -i \\ i & 0 \end{pmatrix}, \quad \sigma_z = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix}
$$
z軸周りの回転演算子は、スピンの場合も同様に定義され、
$$ R_z(\alpha) = \exp\left(-\frac{i}{\hbar} \alpha S_z\right) = \exp\left(-\frac{i\alpha}{2} \sigma_z\right) $$
となります。オイラーの公式 $e^{ix} = \cos x + i \sin x$ を行列に拡張した公式 $\exp(iA\theta) = I\cos\theta + iA\sin\theta$ (ただし $A^2=I$) を用いると、
$$ R_z(\alpha) = I \cos(\alpha/2) - i\sigma_z \sin(\alpha/2) = \begin{pmatrix} e^{-i\alpha/2} & 0 \\ 0 & e^{i\alpha/2} \end{pmatrix} $$
という2×2のユニタリ行列が得られます。
ここで、回転角 $\alpha$ に $2\pi$ を代入してみましょう。空間的には完全に一回転して元に戻るはずです。
$$ R_z(2\pi) = \begin{pmatrix} e^{-i\pi} & 0 \\ 0 & e^{i\pi} \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} -1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix} = -I $$
驚くべきことに、演算子は単位行列 $I$ ではなく、$-I$ となりました。これは、スピン $1/2$ の状態ベクトル(スピノル)は、空間を一周させると符号が反転することを意味します。この性質は、SO(3)群の表現では決して現れません。
この「$2\pi$ 回転で $-1$ 倍になる」という性質を矛盾なく記述できる数学的構造が、**特殊ユニタリ群SU(2)**です。SU(2)は、行列式が1の2×2ユニタリ行列の集合です。
Step 4: SU(2)による統一的理解
SO(3)群とSU(2)群の間には、非常に深い関係があります。任意のSU(2)の元(行列)$U$ に対して、あるSO(3)の元(3次元回転行列)$R$ が対応するという関係があり、これは2対1の準同型写像となっています。具体的には、SU(2)の $U$ と $-U$ の両方が、同じSO(3)の回転 $R$ に対応します。
この関係は、スピンの $2\pi$ 回転で見た現象を完璧に説明します。
- SU(2)の世界では、
$2\pi$の回転は単位元$I$から最も離れた$-I$への移動に対応します。 - これをSO(3)の世界に射影すると、
$I$も$-I$も同じ「何も回転しない」という操作に対応します。 - SU(2)の世界でさらに
$2\pi$、つまり合計$4\pi$回転すると、初めて単位元$I$に戻ります。
したがって、角運動量演算子の代数を忠実に表現する群は、実はSO(3)ではなく、それを「二重に覆う」SU(2)群だったのです。
- 整数角運動量 ($j=0, 1, 2, \dots$)
対応するSU(2)の表現は、
$U$と$-U$を区別しないため、実質的にSO(3)の表現(1価表現)と見なせます。球面調和関数はこちらに属します。 - 半整数角運動量 ($j=1/2, 3/2, \dots$)
対応するSU(2)の表現は、
$U$と$-U$を区別するため、SO(3)の表現にはなれません。これらはSU(2)に固有の表現(2価表現あるいは射影表現)であり、スピンはこちらに属します。
6. 結論と物理的考察
以上の議論から、球面調和関数(整数角運動量)とスピン(半整数角運動量)は、SU(2)群の既約表現という単一の数学的枠組みの下で、美しく統一されることがわかります。
$$ \text{角運動量} \iff \text{SU(2)群の既約表現} \begin{cases} j = \text{整数} \quad (\text{球面調和関数}) \implies \text{SO(3)の表現でもある (1価表現)} \\ j = \text{半整数} \quad (\text{スピン}) \implies \text{SO(3)の表現ではない (2価表現)} \end{cases} $$
この結果が持つ物理的な意味は深遠です。スピンが $2\pi$ 回転で元に戻らないという性質は、スピンが3次元空間における古典的な「自転」のアナロジーでは決して捉えきれない、本質的に量子力学的な自由度であることを物語っています。我々の住む3次元空間の回転対称性(SO(3))を、量子力学の舞台であるヒルベルト空間に持ち込むと、より根源的で豊かな構造(SU(2))が自然に現れるのです。この事実は、自然が我々の直感を超える、精緻な数学的構造に基づいていることを示唆しています。
7. 発展と関連テーマ
今回のテーマは、より高度な物理学への入り口となります。
- ウィグナーのD行列: SU(2)の任意の回転を表現する一般式であり、角運動量理論の計算において中心的な役割を果たします。
- クレブシュ-ゴルダン係数: 二つの角運動量を合成する際に、どのように異なる表現に分解されるかを記述します。