加速度系における慣性力 - 並進運動の場合
目次
前提知識
この記事をスムーズに理解するために、以下の知識があることが望ましいです。
- ベクトルの時間微分
- ニュートンの運動方程式
要点まとめ
この記事では、一定の加速度で並進運動する座標系(非慣性系)における物体の運動を記述する方法について解説し、座標変換を通じて、最終的に慣性力の概念を導出します。
- 問題の核心: 加速度運動する座標系で、静止した座標系(慣性系)と同様にニュートンの運動方程式を成立させるには、どのような修正が必要か。
- 用いる物理法則: ニュートンの運動方程式、座標系の並進に関する変換式。
- 最終的な結論: 非慣性系では、その座標系の加速度
$\vec{A}$と逆向きに、大きさ$m\vec{A}$の慣性力(見かけの力)を導入することで、運動方程式が記述できる。
1. はじめに
ニュートンの運動方程式は、静止しているか等速直線運動をしている「慣性系」においてのみ、そのシンプルな形で成り立ちます。しかし、慣性系だけで日常で経験する現象の全てが説明できるでしょうか?
例えば、加速する電車の中では、進行方向とは逆向きに体が押されるように感じたり、床に置いてあったボールがひとりでに転がり出したりします。このように、自分を電車内の観測者として非慣性系の原点から見ると、自分の体(原点にある質点)や床のボールは、あたかも「みかけの力」により動かされているように観測されるのです。
この記事では、最も単純な非慣性系である「一定の加速度で並進運動する座標系」を取り上げ、そこで運動方程式がどのように書き換えられるかを導出します。この過程を通じて、「見かけの力」とも呼ばれる慣性力の正体を数理的に明らかにします。
2. 問題設定
考察のために、2つの座標系を導入します。
- 静止系 (S系): 慣性系であり、座標は
$\vec{r} = (x, y, z)$で表される。 - 運動系 (S’系): S系に対して、x軸の正の向きに一定の加速度
$\vec{A}$で並進運動する非慣性系。座標は$\vec{r}' = (x', y', z')$で表される。
簡単のため、時刻 $t=0$ において両座標系の原点と座標軸は一致しており、S’系のS系に対する相対速度もゼロであったとします。
- 運動する観測者の加速度:
$\vec{A} = (A, 0, 0)$(定数)
この設定の下で、質量 $m$ の質点に力 $\vec{F}$ が働いている状況を考えます。この設定ではS’系が電車内の観測者の座標系であり、この観測者は物体の位置を $\vec{r}' = (x', y', z')$ で測定します (電車外の止まった人から見た $\vec{r} = (x, y, z)$ は理解できません)。ここでの目標は $\vec{r}' = (x', y', z')$ を用いて、質点の運動を記述することを目標とします。
3. 解法のロードマップ
この問題を解決するために、以下のステップで思考を進めます。
- Step 1: 座標の関係式の導出
静止系Sと運動系S’の座標$\vec{r}$と$\vec{r}'$の関係式を導出する。 - Step 2: 加速度の関係式の導出
Step 1の関係式を2回時間微分し、両座標系における質点の加速度$\vec{a}$と$\vec{a}'$の関係式を求める。 - Step 3: 運動系における運動方程式の導出
慣性系であるS系で成り立つ運動方程式$\vec{F} = m\vec{a}$にStep 2の結果を代入し、S’系における運動方程式を導出する。
4. 理論展開と計算
上記のロードマップに従って、具体的な計算を進めていきましょう。
Step 1: 座標の関係式の導出
時刻 $t$ における、S’系の原点のS系から見た位置ベクトル $\vec{R}$ を考えます。S’系は加速度 $\vec{A}$ で運動しており、$t=0$ での位置と速度がゼロであるため、その位置は以下のように表せます。
$$
\vec{R} = \frac{1}{2}\vec{A}t^2
$$
S系における質点の位置 $\vec{r}$ は、S’系の原点の位置 $\vec{R}$ と、S’系における質点の位置 $\vec{r}'$ のベクトル和で表せるため、以下の関係が成り立ちます。
$$
\vec{r} = \vec{r}’ + \vec{R} = \vec{r}’ + \frac{1}{2}\vec{A}t^2
$$
Step 2: 加速度の関係式の導出
Step 1で得られた座標の関係式を、時刻 $t$ で1回微分すると、両座標系における速度の関係式が得られます。
$$
\frac{d\vec{r}}{dt} = \frac{d\vec{r}’}{dt} + \frac{d}{dt}\left(\frac{1}{2}\vec{A}t^2\right)
$$
ここで、$\vec{v} = d\vec{r}/dt$、$\vec{v}' = d\vec{r}'/dt$ と定義すると、
$$
\vec{v} = \vec{v}’ + \vec{A}t
$$
となります。さらにもう一度時刻 $t$ で微分することで、加速度の関係式を求めます。
$$
\frac{d\vec{v}}{dt} = \frac{d\vec{v}’}{dt} + \frac{d}{dt}(\vec{A}t)
$$
$\vec{a} = d\vec{v}/dt$、$\vec{a}' = d\vec{v}'/dt$ であり、$\vec{A}$ は定数ベクトルであるため、
$$
\vec{a} = \vec{a}’ + \vec{A}
$$
という、加速度に関する極めて重要な関係式が導かれます。
Step 3: 運動系における運動方程式の導出
慣性系であるS系では、ニュートンの運動方程式が成立します。
$$
m\vec{a} = \vec{F}
$$
この式に、Step 2で求めた加速度の関係式 $\vec{a} = \vec{a}' + \vec{A}$ を代入します。
$$
m(\vec{a}’ + \vec{A}) = \vec{F}
$$
この式を、S’系の観測者から見た加速度 $\vec{a}'$ について整理します。
$$
m\vec{a}’ = \vec{F} - m\vec{A}
$$
5. 結論と物理的考察
以上の計算から、加速度 $\vec{A}$ で並進運動する非慣性系S’において、質点の運動は以下の運動方程式で記述されることがわかります。
$$
m\vec{a}’ = \vec{F} - m\vec{A}
$$
この式は、S’系の観測者にとっては、実際に質点に働いている力 $\vec{F}$ に加えて、$\vec{F}_{\text{in}} = -m\vec{A}$ という「見かけの力」が働いているように見えることを意味しています。この $\vec{F}_{\text{in}}$ を慣性力と呼びます。
この結果が持つ物理的な意味を考えてみましょう。
- 慣性力は、運動座標系の加速度
$\vec{A}$とは逆向きに働きます。例えば、x軸正方向に加速する電車の中では、乗客は負の向きに力を感じることに対応します。 - 慣性力の大きさは、質点の質量
$m$に比例します。 - 慣性力は、物体間に相互作用を及ぼしあう力とは異なり、座標系の取り方によって現れたり消えたりする見かけ上の力です。しかし、非慣性系で運動を記述する際には、他の力と同様に扱うことで、ニュートンの運動方程式が適用可能になるという点で非常に有用な概念です。
6. 発展と関連テーマ
- 一般の並進運動: 今回は加速度が一定の場合を考えましたが、加速度が時間変化する場合でも、その瞬間の加速度
$\vec{A}(t)$を用いれば$\vec{F}_{\text{in}}(t) = -m\vec{A}(t)$として同様の議論が成り立ちます。 - 回転系における慣性力: 座標系が回転運動をする場合には、遠心力やコリオリの力といった、より複雑な慣性力が現れます。